■熱い信仰心が育む、パワースポット:成田山新勝寺
成田山新勝寺は、成田のお不動産としても親しまれ、歌舞伎役者の市川団十郎家は成田の出身で、屋号を成田屋と称するほど信仰に熱い。
人々の信仰が熱いことで知られる成田山新勝寺は、千葉県成田市、京成電鉄京成本線「京成成田駅」下車。
以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
大本堂成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は、千葉県成田市にある真言宗智山派の寺院。同派の大本山である。本尊は不動明王。関東地方では有数の参詣人を集める著名寺院で、家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多い。寺名は一般には「成田不動」あるいは単に「成田山」と呼ばれることが多い。
高幡不動(金剛寺)などとともに、関東三大不動の一とされる。なお、関東三大不動の残り1か寺については不動ヶ岡不動(總願寺)、大山不動(大山寺)および高山不動(常楽院)等があげられる。
また、高尾山薬王院、川崎大師平間寺とともに真言宗智山派の関東三大本山のひとつとなっている。
東京都江東区、埼玉県川越市、愛知県犬山市、大阪府寝屋川市など日本各地に別院がある。
「成田山新勝寺の歴史」
朱雀天皇は平将門の乱平定のため、天慶2年(939年)、僧寛朝を東国へ遣わした。寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、翌天慶3年(940年)、平将門の乱平定祈願のため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行った。新勝寺はこの天慶3年を開山の年としている。乱平定の後の永禄年間(9年―1566年?)に成田村一七軒党代表の名主が不動明王を背負って現在の場所に遷座し伽藍を建立、東国鎮護の寺院となった。
江戸時代には、江戸(征夷大将軍の城下)でたびたび成田不動の「出開帳」(現代の語感でいえば、「秘宝特別公開」)が行われた。元禄16年(1703年)、深川永代寺(今の江東区富岡にあった寺で、跡地は深川不動堂になっている)で行われたのが初めで、江戸時代を通じて12回の出開帳が行われた記録がある。歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を打ったことなどもあいまって、成田不動は庶民の信仰を集めた。
なお、2007年11月28日、着工から3年8か月をかけたケヤキ造りの総門(高さ15m,桁行14m,梁行8m)の完成記念法要が営まれた。「成田屋」の屋号をもつ歌舞伎役者市川團十郎も駆け付けた。
「成田山新勝寺:伽藍」
開基1070年を控え、2007年11月に完成した新勝寺総門
釈迦堂
三重塔境内は広く、新旧のさまざまな建造物が並んで、庶民の信仰の場の雰囲気を残している。江戸中期〜末期の建築である仁王門、三重塔、釈迦堂、額堂、光明堂の5棟が国の重要文化財に指定されている。
JRおよび京成電鉄の成田駅から新勝寺への参道が伸びる。参道を10分ほど歩き、急な石段を上った先の台地上に伽藍が広がる。石段の途中に仁王門、石段を上った先の正面に大本堂、その手前右手に三重塔、鐘楼、一切経蔵などが建つ。この他、大本堂の左手に釈迦堂、大本堂背後の一段高くなった地には額堂、光明堂、開山堂、平和の大塔などが建つ。境内の東側は広大な成田山公園になっている。
フリー百科事典『
ウィキペディア(Wikipedia)』
posted by パワースポット at 09:59|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
日本の有名パワースポット
|

|